カミングアウトをしなくても

隠れゲイのmarutoが日々小さなことに挑戦するブログ

ゲイですが映画『エゴイスト』を観てきました

お久しぶりの投稿ですが映画『エゴイスト』を観てきていろいろ思うところがあったので記憶の新しいうちに記事にしておこうと思います。

※この記事には本編のネタバレが若干含まれておりますので、ご注意ください。

きっかけ

普段僕は同性愛がテーマになってる映画とかドラマとかってほぼ観ないんですよね。何故かと言われると明確なポリシーや答えがある訳ではないのですが。漠然と避けている感じですかね。そんな僕がこの映画を観に行こうと思ったのは予告編で鈴木亮平さんが「僕は愛が何なのかよく分かんないです…」と言っているのをたまたま見て

WA☆KA☆RU☆彡

と激しく共感したからです。


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愛ってなんやねん…
親が子を慈しむ愛は何となく想像できる…。でも成人した同性愛者の愛ってなんだかよくわからない。そりゃーアトモスフィア(雰囲気)は分かるよ…?。告白して付き合って、同棲して、長く一緒にいながらお互いのことを大事にする…みたいな………?

……ちょうどフラれたり、フったりを経験していた私は「愛ってなんやねん…」とドツボに嵌っていたので映画を観ることで安易に答えを見出そうとしておりました(遠い目)

映画鑑賞前まで

2/11(土)テアトル新宿にて鑑賞したわけですが、公開2日目ということもあり客席は9割以上埋まっていました。観客は女性7割、男性3割、私の第六感が男性3割の98%がゲイであることを教えてくれましただって、僕の前の座席の人ナ〇モンぽちぽちしてたし…

テアトル新宿って初めて行ったんですけど、入り口が地下に降りる階段1か所しかなく、シアターは1つで上映中の映画も2つほどしかない状況。この場にいる=「エゴイスト」を観にきた人=この映画に興味のある男性=ゲイであると自己申告している気がして若干居心地の悪さを感じました。二丁目なら周りもみんなゲイじゃん?って思うけど、ここは天下の伊勢丹のお膝元。人通りも多いところなので人目は結構気になりました。

恐怖感・緊張感

映画が始まると冒頭~1時間くらい、漠然とした恐怖感と緊張感に襲われました。映画の内容というよりも「濡れ場も含めたゲイの生活が公共の場で上映されている、それを多くの人が観ている」という状況にそう感じたのだと思います。この時、なぜこんな風に感じたのかずっと考えていたのですが

・家族でテレビを見ていたら濡れ場になった時に感じた気まずさ、居心地の悪さ
・(リアル等で)公共の場で周囲に聞こえる声量でゲイだと分かる会話をする相手への焦り、憤り
・今まで感じてきたゲイバレへの漠然とした恐怖

こんな感情が同時にごっちゃになって押し寄せてきた感じでした。映画館で初めて同性愛が描かれている映画を観たからだろうなぁと思います。まあ振り返ってみると勘違いなんですけどね。自意識過剰な恐怖が顔を出していたのだと思います。中盤~後半にかけては同性愛というよりも主人公と周囲の人との関係性の変化にスポットを当てた展開になっていったのであまり気にならなくなりました。

丁寧に描かれるゲイの所作

映画を観ていてずっと思っていたことはゲイの話し方、立ち振る舞いをとても丁寧に描いているなっていうことです。女性的とまでは言わないけどゲイが使っちゃう柔らかな口調や言動、視線の送り方。もちろん創作物なのでやや誇張されているかな?と思うところもありましたが主人公・周囲含めて「あ、なんかこういうゲイいるよね」とゲイ当事者も思う再現度でした。

最も印象的だったのは最初に浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)のお母さん(阿川佐和子)が会話するシーン。ゲイであること、恋人関係であることがバレないよう振舞っている中で、それでも滲み出てしまう物腰の柔らかな言動、表情。「こういうの、出ちゃうときあるよね~」と謎の共感性羞恥のようなものに襲われました鈴木亮平さんの演技力、凄い。

あとはゲイが集まって女子会みたいな雰囲気になったり、パーソナルトレーニングに通ったりと僕からすると「あるある」なゲイの生態が描かれていて新鮮な気持ちでした。なんとなく、ゲイがテーマになってるドラマ・映画って女性から見て綺麗な部分を切り取って描いている部分が多いかなと思っていたんですけど、この映画に関して言えば結構リアルなゲイを描いているなぁと思ったので。

物語への感想

映画という時間の限られた中での物語だったので、展開が早くやや唐突感を感じましたが長い目で見るとこういうことって起こりうるなぁって思いました。パートナーとの出会い、別れ、再会、そして死別、相手親との関係。個人的には浩輔(鈴木亮平)が「僕は愛が何なのかよく分かんないです…」のシーンにたどり着いたころには「いや、お前めっちゃ一途でいい奴じゃね…?それって愛じゃない?」って思いました。浩輔(鈴木亮平)が龍太のお母さん(阿川佐和子)の面倒を見る姿って、義務感や責任感というよりも龍太を通じてその家族も愛してるっていうことなんだろうなと。ただ浩輔と龍太のお母さんって法的には全くの他人で、これがノンケの結婚だったら義母・義理の息子ということになるんだろうなと思うと、同性婚ができない日本に対する問題提起のようなものを薄っすらと感じました。

愛がよく分からないって「相手のことを思ってやった自分の言動が相手にとって本当にためになっているか分からない」っていうことなのかな、と思います。浩輔と龍太の関係って金銭で繋がっている部分がある。浩輔は龍太に売り専をやめて欲しくて金銭的な援助をする。龍太は売り専から脱却すべく、皿洗いやごみ収集の仕事を始める。死因は明確に描かれていないけど浩輔からしてみたら龍太を追い込みすぎたのではないか、と自分を責めたくなる気持ちは容易に想像できます。そして、龍太が生きていたら龍太のお母さんの病気ももっと早く気が付けたのではないかと。エゴイストって一般的に「利己的な人(自分の利益を中心に考える人)」って言われますけど、最初は「この映画に出てくる人にそんな人いなくない?」って思っていたんですよね。ただ相手の気持ちや今後の展開が分からない中で「相手のためと思って行った発言・行動」って見方によっては自己満足になってしまう。で浩輔が自らの言動を振り返った際に「エゴ」を感じたのであれば「エゴイスト」という題名もしっくりきます。愛と自己満足は紙一重といったところでしょうか。

※一度しか観ていない状態で書いていますので描写の見落とし・誤りがある可能性があります。もしお気づきの方がいましたら優しくご指摘くださるとありがたいです。

なお、映画鑑賞後に知りましたが原作の小説があるようなのでこちらを読むとより作品に対する理解が深まると思いますので時間が空いたときに読んでみようと思います。

終わりに

同性愛を描いた作品を避けていたのって食わず嫌いだったなと思いました。ゲイであることを描いた作品を通して普段の自分の言動や生き方をちょっと振り返る機会になりました。一方でゲイの生態を忠実に再現すればするほど、自分がゲイバレする可能性も上がらないか?と若干不安に感じます。ただ世間に広く認知される機会が増えることは、世の中が変わっていく中では良いことなのだとも思います。
私の感想を観て「自分の周りには別にこんなゲイいないし」とか「的外れだなぁ」と思う人もいると思いますがそれは私がまだ大きな構成要素のうちのほんの一部しか見ることができていないからだと思います。なので(同性愛関連に限らず)食わず嫌いではなくまずは触れて、それから考えるという癖をつけていきたいなと思いました。

まあ結局何が一番言いたいかというと

鈴木亮平めっちゃイケメン(デュフフフフフ…)
ってことです☆

私も鈴木亮平に愛されたい、まるとでした~☆彡